「好き」の尺度 執筆者:綾 仁美(アプリシエイタ-)

過去2回のエッセイは多少なりともイギリスやイギリス文学に関係があったのですが、今はアメリカの古典作品の翻訳に取り組んでいます。そんな時にあるトークショーをご紹介頂き、参加することができました。レポートと呼べるものではありませんが、私なりに感じたことをお伝えしたいと思います。

『アメリカ短編ベスト10』刊行記念
平石貴樹×柴田元幸
対談式トークショー

不勉強で存じ上げなかったのですが、平石貴樹先生は東京大学の文学部英文科で長年教鞭をとられ、退官された後は作家として探偵小説や推理小説を発表していらっしゃるのだそうです。そんな先生がアメリカの短編小説の中から10作品を選び訳されたということで、同じように『アメリカン・マスターピース 古典編』というアンソロジーを出版されている柴田元幸先生が質問を投げかける形のトークショーでした。

話題の中心は「数あるアメリカ短編小説の中からなぜこの作品を選んだか」だったのですが、お2人の好みの違いを少しだけうかがい知ることができた気がします。

平石先生は、ご自身が探偵小説を書かれることも影響しているのか、起承転結のはっきりした話や、当時の人々の生活が分かるような話が好みだそうです。

柴田先生も難解でよく分からない小説には否定的でしたが、アメリカ文学の一番の魅力を「声」と仰っていました。翻訳の限界も感じるけれども、アメリカ文学の一番の魅力は「声」だと。村上春樹さんともよくそうお話しされるそうです。そういえば、村上春樹さんが訳された『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の帯にはこう書かれていました。「さあ、ホールデンの声に耳を澄ませてください。」と。

そんなお2人で意見が一致する作品もあれば、文学史の授業で必ず習うにも関わらず「あの小説っていい小説なんですか?」と一方が問いかける作品もあって、本当に「好き」という感情には様々な尺度があるのだと考えさせられました。

一言一句正確に記憶している訳ではないのですが、平石先生が最後に仰ったこんな言葉が印象に残っています。

「1000冊くらい小説を読んでやっと、小説ってこんなものかと分かり始める。そのなかで今まで読んだことのないような作品に出会った時に、新鮮に感じるとか印象に残ると言えるんじゃないか」

今までにどれくらい小説を読んだのか数えたこともありませんが、私の読書量など微々たるものです。これから先もできるだけ多く作品や文章に触れて、どんなものが自分の心に残るのか、自分なりの「好き」の尺度を持ちたいと思いました。
まずは、このようなお話を伺えたことに感謝しつつ、『アメリカ短編ベスト10』を読みたいと思います。

 

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