「精読」の極意習得を目指して 執筆者:工学博士 寅吉

 一年間リレーブログを書かせていただくことになりました寅吉です。細々と技術翻訳をやっておりますがまだまだ修行が足りない身です。英文教室を受講して気づいたことや考えさせられたことを技術翻訳との関連で書いていきたいと思います。なお、内容は全て私の独断によるものです。間違いがありましたら御指摘いただけると幸いです。
 受講して印象に残っている話の一つに「大先生と言われている方々の翻訳にも少なからず誤訳・悪訳がある」ということがあります。具体例に基づいた解説で大変興味深く拝聴しました。このことは技術翻訳にも多分に当てはまるのではないかと思い、少し注意して参考書物(所謂参考書だけでなく雑誌や資料類等を全て含めた意味で用います)をチェックしてみました。まあ数ある参考書物の中には怪しいものもあるだろうなとは思いますが、教科書にしたいような権威あるものまでいい加減だと少々困ります。特に私のような初級者にとっては。
 ご存知のように工業英語検定を主催されている日本工業英語協会から「工業英語ジャーナル」という雑誌が発行されています。各分野の権威(の筈)の方々が連載講座を執筆しておられ参考になるところが多々あります。ところが、さぞお手本となる例文が並んでいるだろうと思って見ていると意外とそうでもない。首を捻りたくなるようなものが結構散見されます。中には初歩的な間違いと思えるものもある。工業英語全般に関する雑誌なので必ずしも翻訳を主眼としたものばかりではありませんが、それにしても例文として載っているものに誤訳・悪訳が目につくのでは心細い限りです。今回、それら誤訳・悪訳の例をピックアップして検討してみました(文中で著者としているのは記事の執筆者)。

1.自動車用語に関する連載から(初歩的な間違いが目立ちます)

(原文) You don’t need any mechanical or technical knowledge, you don’t even need to lift the bonnet.
(著者訳) あなたには特別機械的あるいは技術的な知識は必要なく、ボンネットを開ける必要もありません。

 周知のようにYouは人一般を指すから訳さないのが普通でしょう。anyは普通に「いかなる」と訳せばよい。mechanical or technicalのorは「あるいは」ではないでしょう。否定語のnotが前にあるから「機械的な知識も技術的な知識も必要ない」の意味と思います。若しくは同義反復のような気もします(機械的と技術的との区別がよくわからない)。訳としては「機械的・技術的知識は一切不要」とか「機械のことは何も知らなくても大丈夫です」等かと思います。

(原文) It’s all done from the comfort of your driving seat.  Start by simply plugging the handy device into the diagnostic port.
(著者訳) 快適なあなたの座席からすべて行えます。手ごろな機材を診断ポートに差し込むだけで始められます。

「快適なあなたの座席から」は明らかに誤訳。from the comfort ofは熟語で「居ながらにして」の意味。つまり「座席に居ながらにしてすべて行えます」と述べている。構文からしても「快適なあなたの座席」とはならないでしょう。「手ごろな機材」も乱暴。ここでのdeviceは例えばICカードのようなもので「機材」は不適当。handyも「手元にある」または「扱い易い」等の意味にとる方が適切でしょう。theが付いているので特定の商品のイメージにつながるニュアンスが好ましい気がします。少し訳しにくいですが、例えば「お手元の機器」といったところではないでしょうか。

2.ノーベル化学賞に関連してスウェーデン王立科学アカデミーが公表した文に関する記事から(幾つかの段落が抜粋されておりそれぞれ原文と訳文が示されていますが、全体に技術内容の把握が不十分な感じです)
下記の段落の下線を付けた箇所について検討を行いました。
When Stefan Hell read about stimulated emission, he realized that it should be possible to devise a kind of nano-flashlight that could sweep along the sample, a nanometer at a time.  By using stimulated emission scientists can quench fluorescent molecules.  They direct a laser beam at the molecules that immediately lose their energy and become dark.  In 1994, Stefan Hell published an article outlining his ideas.  In the proposed method, so-called stimulated emission depletion (STED), a light pulse excites all the fluorescent molecules, while another light pulse quenches fluorescence from all molecules except those in a nanometer-sized volume in the middle.  Only this volume is then registeredBy sweeping along the sample and continuously measuring light levels, it is possible to get a comprehensive image.  The smaller the volume allowed to fluoresce at a single moment, the higher the resolution of the final imageHence, there is, in principle, no longer any limit to the resolution of optical microscopes.

(原文) By using stimulated emission scientists can quench fluorescent molecules.
(著者訳) 誘導放出を用いれば、蛍光分子を、科学者らは、抑制的に制御できるのだ。

 この著者はquenchを「抑制する」の意味に捉えているようですが、光物性の分野では主に「消光する、失活させる」の意味で用いられる。「抑制的に制御できる」は前後の流れを意識したのかもしれないが文意を外れている気がします。quench fluorescent moleculesは「蛍光分子を失活させる」の意味でしょう。「蛍光分子を、科学者らは、」もぎこちない。平易に次のように訳せばよいのではないでしょうか。

 誘導放出を用いることにより科学者は蛍光分子を失活させることができる。

(原文) •••a light pulse excites all the fluorescent molecules, while another light pulse quenches fluorescence from all molecules except those in a nanometer-sized volume in the middle.
(著者訳) ある光パルスが全蛍光分子を励起する一方で、別の光パルスが、中央のナノ・メートル・サイズの容積内に存する分子を除く他のあらゆる分子の蛍光の発光を抑制する

 quenches fluorescenceは上述したように「蛍光発光を消光する」とするべき。volumeはここでは「容積」というより「大きさ」の意味に捉えた方がよいでしょう。訳としては「領域」が適切と思います。2種類の光パルスで試料面を照射して励起と脱励起を繰り返す操作についての記述であり、in the middleも二次元的な中心と見た方がよい。訳としては、「一方の光パルスが全蛍光分子を励起する一方で、もう一方の光パルスが中央のナノメータサイズの領域内を除く全ての分子の蛍光発光を消光する」等になるかと思います。

(原文) Only this volume is then registered.
(著者訳) 結果、その時点で中央に位置するナノ・メートル・サイズの容積内の分子だけが蛍光発光し、記録されるのである。

 不要な説明が多すぎる。volumeを「容積」と訳したために全体の訳がものすごく苦しくなっている感じです。ここは画素に相当するドットのことを述べていると思われます。「この領域だけが記録される」という直訳でよいと思いますが、内容的には「この領域が発光点として記録される」としてもよいと思います。

(原文) By sweeping along the sample and continuously measuring light levels, it is possible to get a comprehensive image.
(著者訳) 包括的な全体の画像を取得出来るようにするためには、試料に沿って掃引しつつ光強度を継続的に計測すれば良い

 sweeping along the sampleは「試料に沿って掃引」ではわかりにくい。sweep alongは「さっと撫でていく」の意味だから「試料面を掃引」等が適当でしょう。light levelsの訳は「光強度」よりも「光量」の方が正確。comprehensive imageは「全体像」でよいでしょう。文全体としてニュアンスがずれていると思います。例えば、次のような修正訳が考えられます。

 試料面を掃引しつつ光量を連続測定することによって全体像を得ることができる。

(原文) The smaller the volume allowed to fluoresce at a single moment, the higher the resolution of the final image.
(著者訳) ある単一の瞬間において蛍光発光が許されることになる容積が小さければ小さい程、最終的により高い解像度の画像が得られる

 allowedは「許される」としない方がよいと思います。final imageは「仕上がり画像、出来上がった像」のことでしょう。ここでも何となく苦し紛れのような訳になっている感じです。次のような修正訳が考えられます。

 瞬間毎の蛍光発光領域が小さい程、仕上がり画像の解像度は高くなる。

(原文) Hence, there is, in principle, no longer any limit to the resolution of optical microscopes.
(著者訳) このようにして、原理的には、光学顕微鏡の解像度には、もはやいかなる限界も、存在しなくなっているのである

 Henceは前文を受けて「したがって」等にするべきでしょう。no longer any limitのanyは無理に訳す必要はないと思います。修正訳として、

 したがって、原理的には光学顕微鏡の解像度にもはや限界は存在しない。
少し意訳して、
 これにより原理的には光学顕微鏡の解像度を無限に高めることができる。

3.英文ライティングの連載講座から(内容豊富な講座で参考になる箇所が多いのですが、一部気になるところがありました)

(例文) Another way of stating this law is that the volume of a gas is proportional to the number of molecules (moles) of gas present at constant present and temperature.
(著者解説)
(△)別の述べ方をすると、この法則は、気体の体積は一定の圧力と温度で存在する気体分子の数(モル数)に比例する、となる。
この訳の下線部「一定の圧力と温度で存在する」は直訳的なので意味が正しく伝わりません。次のように意訳する必要があります。
別の述べ方をすると、この法則は、気体の体積は圧力と温度が一定ならばそこに存在する気体分子の数(モル数)に比例する、となる。

 当該箇所は確かに少し不明確ですが、こんなにまわりくどい意訳をする必要はないでしょう。「そこに」などという代名詞を入れるのも冗長な感じです。この部分は「一定の圧力と温度の下で存在する」とすれば簡明に表現できると思います。「別の述べ方をすると、~、となる」も少しぎこちない。出来ればもう少しスムーズな感じにしたい。次のような訳はどうでしょう。

 この法則は次のように言い表すこともできる。(すなわち、)気体の体積は一定の圧力と温度の下で存在する気体分子の数(モル数)に比例する。

 

 まだいろいろありますがこれ位にしておきます。言うまでもないことですが不備をあげつらうことが主旨ではありません。雑誌の場合時間の制約が厳しくて必ずしも校正を十分に出来ないといった事情もあるかと思います(にしてももう少し何とかして欲しいという気もしますが)。あくまでも自分の問題として、今回のような視点を交えて本を読むことで色々と発見があり学習も深まることを実感したということです。これも「精読」を学んだ成果の一つかと思っています。

 

柴田耕太郎「英文教室」HPはこちら