カンマと読点(3) 執筆者:田中千鶴香(実務翻訳者)

 横書き文でのカンマの使用は、いつ、どのような経緯で始まったのか。今回は、横書きという書字方向(文字の配列方向)を考えることから、この疑問に迫りたい。

書字方向――縦にも横にも書ける
 日本語を使っている私たちが、「縦方向にも横方向にも文字を書けるなんて、不思議だなぁ」と感慨深く思うことがあるだろうか。まずないと言ってよいだろう。縦書きと横書きを自由に選べることは、それほど当たり前になっている。手元にある新聞の切り抜きを見ると、本文は縦書きで、その上に、大きなフォントの見出しが横書きで組まれている。今年届いた年賀状を数えると、横書きよりも縦書きで宛名を書いたもののほうが多く、裏面は横書きのほうが多かった。
 世界には5,000~8,000の言語が存在すると言われているが、書字方向を自由に選べる言語はきわめて珍しい。ヨーロッパ系言語は左から右への「左横書き」、アラビア語・ヘブライ語は右から左への「右横書き」(図1)、モンゴル語は日本語と同じ縦書きだが左から右へと行が移る「左縦書き」(図2)で書くと決まっていて、通常、決められた方向以外には書けない。

アラビア語

図1:Wikipediaのアラビア語の言語ポータル。書字方向は「右横書き」。
https://ar.wikipedia.org/wiki/%D9%84%D8%BA%D8%A9_%D8%B9%D8%B1%D8%A8%D9%8A%D8%A9

モンゴル語

図2:モンゴル語の現代印刷書体(白体)。書字方向は「左縦書き」。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Wikiclassicalmongol.jpg

 日本語で縦書きと横書きを併用できるのは、文字がほぼ正方形でタテヨコどちらにも並べることができるうえに、1文字がカバーする言語単位が大きく、四角い枡目に1文字ずつ置いても単語の意味を容易に読み取れるからである。現代の言語の中では、中国語と朝鮮語も同様の特徴を持つ。

右横書き左横書き

「横書き」登場
 元来、日本語は、中国語の影響を受けて「縦書き」だった。縦書きしかしない時代が1000年近く続き、江戸後期になって洋学などとの接触によって、初めて横書きが登場した。日本語への導入の経緯は句読点の場合とよく似ている。
 横書きが登場した当初から、右から左へ書く「右横書き」と左から右へ書く「左横書き」の2種類の横書きが日本語で使われていた。それぞれについて、主に屋名池誠著『横書き登場―日本語表記の近代―』(岩波新書、2003)(注1)を参考にして述べてみたい。
 
 書字方向は興味深いテーマだが、専門家の間で積極的に研究されなかったために、「右横書きは古来のもの」、「左横書き化はGHQの政策として行われた」といった不正確な要素の多い通説がまかり通っている。屋名池氏の『横書き登場』は、そうした通説に対する正しい理解を促し、近代の日本語を検証するという面白さを味わえる本だ。
 残念ながら同書は句読点の問題に触れていない。句読法が重要なテーマであることを認めつつも、「日本語では在来の縦書きでも句読法や段落表示は発達が遅れていたので、その歴史をたどること自体が大きな仕事になるため、小冊では割愛せざるをえない」と述べている。

右から左へ書く「右横書き」
 図3では、右から左への「右横書き」が3か所で使われている(ピンク色の枠の部分)。よく見ると、左下本文の「肝油を精製して夾雑物を除き~」の3行目に逆方向を向いているような感嘆符があり、4行目にテン(、)が打たれている。向きが奇妙に見えるのは、おそらく縦書き用の書体(活版印刷用の文字盤)をそのまま横書きに流用したためだ。
 右下にあるビタミン剤の瓶のラベルは、現代日本語と同じ「左横書き」で書かれている。この瓶は写真なので、ラベルが左横書きだからといって、1枚の広告で2種類の横書きが用いられているとは言えないが、第二次世界大戦前の日本語の書き言葉には、2種類の横書きが共存してたのは明らかだ。

RIKEN_VITAMIN (1)

図3:1938年(昭和13年)の雑誌広告。本文には「右縦書き」と「右横書き」、商品のラベルには「左横書き」が用いられている。
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2688583

 『横書き登場』によれば、江戸時代以前の日本語には横書きがなく、寺院の門に掲げられる横長の扁額などに、一見、右横書きに見えるものがあるが(図4)、これらは1文字で改行した縦書き、つまり「1文字1行の縦書き」であって横書きではない。同様に、図5のような欧文縦書きの看板も1文字改行した横書きとみなされる。
 「行をまたがって2行以上続くことがなければ、ほんものの横書きではない」というのが屋名池氏の主張であり、近代の日本語を検証する際には、「1文字1行の縦書き」と「ほんものの右横書き」を混同しないことが重要だと述べる。

好文亭扁額

図4:「好文亭」の扁額。「1文字1行の縦書き」。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/ce/%E5%A5%BD%E6%96%87%E4%BA%AD%E6%89%81%E9%A1%8D.JPG

 

Chicago_Theater_sign

図5:「Chicago」の看板。「1文字1行の横書き」。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AChicago_Theater_sign.jpg

 

ほんものの右横書き
 図3の本文のような2行以上続くほんものの右横書きが日本語に登場したのは、江戸末期に描かれた異国趣味の絵図に添える説明文だった。以後、明治から大正の時代に西洋風をまねて作られた看板やポスターなどで、右横書きが広く使われるようになる。
 現代の左横書きに慣れている私たちは、「西洋の模倣で横書きを始めるのなら、欧文と同じように左上から書き始める『左横書き』にすればよかったのに」と思うかもしれない。だがそうならなかった理由は、右横書きにすれば、読み始めの位置が縦書きと同じになるからだった。
 たとえば、図3左下にある本文の読み始めの文字は「肝」だが、仮にこの文が縦書きで書かれたとしても、読み始めの位置は変わらない。縦・横のどちらに読み進む場合も、読み始めの位置が同じであるのは、横書きになじみの浅い一般の人にとって好都合だった。
 「右横書き」には、「縦書き」と併用しても違和感がないうえに、デザインに変化をつけられるという利点があった。そのため、昭和に入っても広く使用された。

「右横書き」と「左横書き」の使い分け
 日本で初めて普及した横書きは、日本語の事情に合わせてカスタマイズされた「右横書き」のほうだった。だが西洋直輸入の「左横書き」も、実はかなり早く(明治初期)から一部の人々の間で用いられていた。
 西洋の知識とともに流入した辞書(語学書)、数学書、簿記、楽譜などの書物を教育現場などに取り入れて、使えるようにするには、欧文や算用数字、音符などの符号と和文を共存させなければならない。こうしたときに、左横書きが使われた。同じページに収めたときに、欧文や数字は左から右へと読み、和文は右から左へ読むのでは、いかにも不都合だからだ。図3の瓶ラベルの「理研ヴィタミン」が英文にならって左横書きなのも同じ理由による。
 ただし、初期の左横書きの使い手は、西洋文化に造詣の深いエリートだけだった。一般の人々はもっぱら右横書きにしか触れる機会がなかったが、大正期になって教養を持つ中間層や技術専門職に就く人が増えると、新聞の海外ニュースやスポーツ欄などで左横書きが徐々に用いられるようになった。

一気に左横書きへ
 この傾向にいったんブレーキがかかったのは、国粋主義的な政策が採られた第二次世界大戦中である。左横書きは「欧米の模倣」とみなされ、外来のカタカナ語を和訳語に無理矢理置き換えるのと時期を同じくして、左横書きだった記事やポスターは日本固有(とは言い切れないのだが)の右横書きに書き換えられた。同じ横書きなのに、右と左では扱いが正反対だったのだ。
 1945年の敗戦を迎えると、戦時中の政策の反動もあって、左横書き化が一気に進んだ。屋名池氏によれば、なだれをうつように趨勢が変わり、あれほど好まれた右横書きが1948年にはほぼ姿を消し去ったという。
 しかし、「右横書き」は縦書きと併用できる庶民のための書き方であり、他方の「左横書き」は技術者や研究者といった一握りの知識階級のための書き方というイメージは十分に定着していた。このことが、横書き文とカンマ・ピリオドの組み合わせを生んだ背景にあると思われる。

不揃いのテンとマル
 さて、句読点に話を戻そう。前回の記事で、句読点が、日本古来の切れ目のない文と強く結びついていなかったこと、それが西洋文化の影響を受けて明治中期から広く使われ始めたことを書いた。句読点は、どのように取り入れられていったのだろうか。
 明治期から昭和正初期の句読点の用例を調査した野澤卓弍「小学校国語教科書・表記の変遷」(九州女子大学紀要41(1)、2004)(注2)によると、当時は句読点の使い方に基準がなかったため、テンやマルの大きさや位置がバラバラであったり、合理的な使い分けがなされなかったという。
 明治期の学校教科書には、かなりバラエティに富んだ句読点が登場し、句点「。」を枡目いっぱいに大きくした符号「○」や中黒、括弧も句読点として使われた。
 また、分野によって取り組みに温度差があった。小説などの出版の世界は新しい書き方を積極的に取り入れたが、新聞では句読点の導入がなかなか進まなかった。記者は句読点を使って記事を書くことを好まず、句読点を使用する記事が全体の半数を超えたのは昭和に入ってからだったという。その場合も、読点だけで文をつないだり、章末に句点を付けなかったりした(図6)。おそらく新聞特有の伝統的なスタイルを重んじる気風が強かったのだろう。

朝日新聞1934年

図6:朝日新聞1934年11月1日。句点が使われず、文の切れ目となるところに読点が打たれている。

 

横書き文での句読点
 国定教科書に関しては、1906年(明治39年)に文部大臣官房図書課が作成した『句読法案』(注3)によって、句読法がほぼ標準化された。ただしこの基準は、旧文部省が関係する文書を対象とした指針を緩やかに示すだけで、他の省庁を巻き込むような包括的な影響力を持たなかった。
 また、この基準には横書きの句読法に関する記述がなかった。横書きでどのような句読点を使うべきかを体系的に考えようとする人がまだいなかったのだろう。
 しかし横書きの印刷物が増えれば、自ずと横書きの文章でも句読点が使われるようになる。『横書き登場』の126~128ページに掲載されている1923~1926年(大正12~15年)の新聞記事には、横書きでの句読点の使用が見られる。書籍では、大正末期から昭和初期に発行されたもので例が見つかる(図7、8、9)。

インシュリン発見

図7:坂口康蔵『インシユリン』、1926年(大正15年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/931740

商業簿記教科書

図8:商業簿記教科書、1929年(昭和4年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1099868

初等科理科1942

図9:文部省初等科理科第1、1942年(昭和17年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461060

 図7では読点が使われ、図8と図9ではカンマが使われている。それぞれなぜ読点とカンマが使われたのかはわからない。当時の印刷は、活版に活字を1字ずつ組んでいく活版印刷だった。漢字や仮名は同じ活字で縦横のどちらにも組めるが、句点、読点、長音記号などの符号には「向き」があって、横組み用の活字を別に用意する必要がある。図7の医学書を印刷するために、横組み専用の読点の活字が作られていたことがわかる。
 図8と図9で使われているカンマをよく見ると、幅がかなり狭い。欧文用の半角カンマを流用したのではないかと思われる。左横書きが誕生した経緯を考えると、横組み専用の読点を作るよりも、欧文のカンマを流用するほうが、むしろ自然だったのかもしれない。

旧文部省が示した基準①『くぎり符号の使ひ方』
 1946年、縦書きと横書きでの句読法の違いを意識した基準がようやく示された。『句読法案』が40年ぶりに改訂され、『くぎり符号の使ひ方〔句読法〕案』(注4)として文部省教科書局調査課から発表された。これに次のように書かれている。

(一)主として縦書きに用いるもの
マル(句点) 。
テン(読点) 、
(二)もっぱら横書きに用いるもの
ピリオド(トメテン) .
コンマ ,

 縦書きと横書きのそれぞれで使用すべき句読点が示され、横書きでは「ピリオド」と「コンマ」を使用するとなっている。「主として」と「もっぱら」という(意味があいまいな)副詞が付いていることから、基準ではあるが柔軟に運用してかまわないという旧文部省の姿勢が伺える。

 この基準を定めるにあたって、旧文部省が、横書き文の句読点に「ピリオド」と「コンマ」を採用した理由を考えてみたい。
 旧文部省は、一般社会である程度実践され、他の官庁や国民にスムーズに受け入れられる基準を選んだはずである。切れ目のない文にテンやマルを打つのは美観を損なうというのが古来日本人の価値観だったが、欧文にならった左横書きについては、心理的な抵抗を感じることなく句読点を使うことができたと思われる。そのとき多くの書き手が、テンとマルではなく、ピリオドとカンマを選んでいたのではないだろうか。左横書きの使い手が主に知識階級だったことを考えあわせても、そうした予想ができると思われる。
 『くぎり符号の使ひ方〔句読法〕案』によって、「横書き」+「カンマ」+「ピリオド」の組み合わせは旧文部省のお墨付きを得ることとなり、正統な書き方と見なされるようになった。

旧文部省が示した基準③『公用文作成の要領』

執務能率を増進する目的をもって,書類の書き方について,次のことを実行する。

1 一定の猶予期間を定めて,なるべく広い範囲にわたって左横書きとする。
2 左横書きに用いるかなは,かたかなによることができる。
3 左横書きの場合は,特別の場合を除き,アラビア数字を使用する。
(中略)
注 1. 文の書き出しおよび行を改めたときには 1 字さげて書き出す。
2. 句読点は,横書きでは「,」および「。」を用いる。
事物を列挙するときには「・」(なかてん)を用いることができる。
(句読点は原典のまま、下線は筆者)

 右横書きではなく、「左横書き」を使うことと、横書きでは「カンマ」と「句点」を使うことが明示されている。以来、現在にいたるまで、句読点に関する新しい表記基準は示されていない。発表から64年も経っているこの依命通知が、日本政府の国語政策に基づく最新の基準ということになる。
 『くぎり符号の使ひ方』では句点に「(もっぱら)ピリオドを使う」となっていたのが、なぜか『公用文作成の要領』では「『。』を用いる」に変わっている。理由は不明だが、もし欧文の半角ピリオドを流用していたとしたら、「印刷するとピリオドは小さくて見づらい」などの不都合があったのかもしれない。

「カンマ」が本流?
 こうして、「横書き」+「カンマ」+「ピリオドまたは句点」という組み合わせが、日本語における文章の書き方のひとつとして定着し、現在でも多くの書籍や教科書で使用されている。旧文部省が定めた基準に則るという意味において、横書き文にカンマを打つのはけっして傍流ではなく、むしろ本流だ。そのうえ専門知識や海外の文化に造詣の深い人たちが好むスタイルとなれば、熱心な支持者がいても不思議ではない。
 その一方で、当の文部科学省でさえ、横書きの文書でカンマを使わずテンを使っているという事実がある。カンマを使用するのは、法務省、文化庁、外務省の3つだけだ。「え、ほんとう?」と疑う人は各省庁のウェブサイトをぜひご覧いただきたい。
 マスコミでは各社が独自の表記方針を持ち、横書きの和文でカンマを使う新聞社や通信社はない。一般企業も同様だと思われる。

終わりに

 詩人・随筆家の薄田泣菫(1877-0945)の『茶話』に「句読点」というエッセイがある(注6)。「文章を書くものにとつて、句読点ほどおろそかに出来ないものはない」という文章で始まり、法令に余分なカンマがひとつ入っていたために米国政府が200万ドル損をしたという話と、数珠(じゅず)屋の主人から「浄瑠璃には句読点など要らん」と言われた近松門左衛門が「ふたへにまげてくびにかけるやうなじゆず」を注文して主人を困らせたという話が続く。
 カンマひとつで文の意味ががらりと変わるのは、前々回の記事で紹介した危うく犯罪者になりかかったパンダの小話、"Eats, Shoots & Leaves"と同じだ。
 言葉には常に豊富な選択肢がある。増えた選択肢の一部が慣用となって使い手の意識に根付く一方で、時とともに消え去る用法もある。そのうち、和文の横書き文でカンマを見ることはなくなるのだろうか。それともしぶとく残り続けるだろうか。
 洋の東西を問わず私たちは、この諸々の小さな符号によって、ときに振り回されながらも豊かな体験をしている。

*****
 筆者の担当する記事は今回で終了します。お読みいただきありがとうございました。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
注1:屋名池誠『横書き登場―日本語表記の近代―』(岩波新書、2003)
注2:野澤卓弍「小学校国語教科書・表記の変遷」(九州女子大学紀要41(1)、2004)
http://ci.nii.ac.jp/els/110004624745.pdf?id=ART0007335500&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1457831925&cp=
注3:文部大臣官房図書課『句読法案』1906年
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/903921
注4:文部省教科書局調査課『くぎり符号の使ひ方〔句読法〕案』1946年
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1126388
注5:1952年『公用文作成の要領〔公用文改善の趣旨徹底について〕(昭和27年4月4日 内閣閣甲第16号依命通知)』
http://kokugo.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/joho/kijun/sanko/koyobun/pdf/yoryo_ver02.pdf
注6:薄田泣菫『茶話』1942
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1901291
大阪毎日新聞社に勤務していた薄田泣菫が1915年から同紙上で連載したコラム『茶話』をまとめて出版した本。「茶話」は「茶を飲みながら気軽に話す話」という意味。滑稽味のある話や軽い話を集めている。

参考文献
今野真二『百年前の日本語』(岩波書店、2012)
今野真二『正書法のない日本語』(岩波書店、2013)
今野真二『日本語の考古学』(岩波書店、2014)
亀井孝ほか『日本語の歴史6』(平凡社、2007)
佐藤武義編著『概説日本語の歴史』(朝倉書店、1995)
佐藤武義『日本語の風景』(おうふう、1997)
芝原宏治『テンとマルの話』(松柏社、2013)
渡辺富美雄ほか『日本語解釈活用事典』(ぎょうせい、1993)

 

柴田耕太郎「英文教室」HPはこちら