理想の類語辞典  執筆者:川月現大(編集者)


■ なぜ類語辞典は使えないのか
 文章を書いていて「ぴったりの表現が見つからない」「もうちょっと別の言い方はないものか」などと思ったときに手にするのが類語辞典だ。だが、文脈に合った言葉が見つかることは少ない。その理由はいくつもあるだろうが、筆者が特に不満に思うのは、類語辞典の多くの項目が同義語・類義語の羅列でしかない点である。翻訳家の山岡洋一氏(故人)も同様の苦言を呈している。山岡氏は「分類型の類語辞典には、使い手が考えているとおりの共通項で類語が並んでいるとはかぎらないという問題がある。だから、非分類型の類語辞典、つまり、国語辞典の各項目にそれぞれ類語や同義語、反対語、関連する諺や決まり文句などを並べたものも同時に必要なのだと思う」と述べている。

辞書評論 類語辞典の決定版─『類語大辞典』 文:山岡洋一,「翻訳通信」2003 年3月号
http://www.honyaku-tsushin.net/hihyo/dic/ruigo.html

 どういうときに類語辞典を調べるかを考えてみると、次の2つのケースが代表的だ。

1. 使用した単語が文脈に合っていない気がする…… 単語ファースト
2. 言いたいことは決まっているのだが、良い表現がみつからない…… 表現ファースト

 1.の単語ファーストのケースは翻訳時にしばしば直面する事態だ。英和辞典に載っている訳語では文脈に合っていないか、こなれた表現ではないことはよくある(そもそも日本の英和辞典は基本的に「訳語集」であるため、その文脈に適した訳語が載っているとは限らない)。そこで日本語の類語辞典でよさそうなものはないかと調べる。それでもだめなら、英英辞典の定義を参照して訳語を探索したりすることになる。

 だが、英和辞典で用が足りないというのは本当だろうか。もっと何か別の問題があるのではないか? 
現在、広く使われている英和辞典は『ジーニアス英和辞典』や『ウィズダム英和辞典』だと思われるが、いずれも頻度順の語義配列を採用している。頻度順語義配列は対象となる単語の訳語をみつけやすいかもしれないが、それぞれの語義が無秩序に並んでしまうため、単語の全体像が見えにくくなってしまう。瀬戸賢一氏はこのことを批判し、「(頻度順配列では)ひとつの単語の有機的な意味のまとまりがばらけてしまう」と瀬戸(2008)で述べている。
 特に英語は多義語が多く、包括的に捉えなければ文脈に即した訳語や表現にするのは難しい。このため、「多義語の意味が砕け散っている」状態を改善すべく、各英和辞典では見出し語のあとに「語義インデックス(一覧)」を設けたり、「原義は*」などと表記して最も古い語義を示すなどの工夫が取り入れられている。その試みはいくらかは成功しているような気がするが、根本的とは言いがたい。
 では、瀬戸(2008)に挙げられている単語(awash)を参考に具体的に見てみよう。以下に挙げるのは、『ウィズダム英和辞典 第3版』と瀬戸賢一/投野由紀夫(2012)編の『プログレッシブ英和中辞典 第5版』の awash の項である。

▼『ウィズダム英和辞典 第3版』のawash
ウィズダム英和3-awash

▼『プログレッシブ英和中辞典 第5版』のawash
プログレッシブ英和5-awash

 頻度順配列の『ウィズダム英和辞典』の語義1は「(物や人で)いっぱいで、あふれて」というものだ。もちろんこれは比喩的意味で、語義2のメタファーである。メタファーとしての語義は、語義2の「水浸しで、…」を前提としなければ成り立たない。逆に、語義1から語義2へと意味を拡張するのは難しいか不自然である。
 一方、『プログレッシブ英和中辞典』のほうは、語義1から語義2→語義2aと基本義から派生義へと自然に意味が拡張している。どちらが語のイメージ全体を捉えやすいかは明らかだろう。

 別の例も見てみよう。今度は『プログレッシブ英和中辞典』の第4版と第5版を比較してみる。比較するのは副詞の down で、比喩的拡張に難がある箇所を見てみる。

『プログレッシブ英和中辞典 第4版』の down(訳語のみ抜粋)

1 (高い所から)低い所へ, 下(方)へ[に], 下って, 降りて;階下へ[に]
2 地面[床]へ[に];(川・海などの)底へ[に]
3 座って, 横になって, 身をかがめて, 低い姿勢に
4 (身分・地位・評判などが)下がって
5 〈価格・率などが〉下がって;〈音量・調子が〉低くなって, 弱まって;〈風が〉静まって, おさまって;〈温度が〉下がって;〈潮が〉ひいて
6 〈濃度が〉より薄く, 〈強度が〉より弱く, 〈数量が〉より少なく, 〈大きさが〉より小さく[細かく];〈速度が〉落ちて
7 下手(しもて)へ[に];(都会から)地方へ[に];(住宅地区から)商業地区[下町]へ(⇒DOWNTOWN);(地図上で)低い位置へ[に];((米))南へ[に];((英))(大学から)卒業[帰省]して;(舞台の)前方へ[に](⇒DOWNSTAGE
8 (時代が)後期へ;後代に至るまで;(順序・序列の初めから)終わりへ;(上は…から)下は(…に)至るまで ((from … to …))
9 本気で, 身[本腰]を入れて, 積極的に, 精力的に
10 (1) (紙に)書き留めて, (文書・名簿に)記録して
  (2) (予約申込・出場・役割分担などの)リストに名前が載って((for …))
11 現金[即金]で, 頭金として(現金で)
12 倒れて, 臥 [ふ] して;(人が)病臥 [びょうが] して;(意気などが)沈んで
13 (のどを通って)腹の中へ[に]
14 すっかり, まったく
15 根源まで, 最後まで;実際にある所へ
16 (主に新聞について)印刷に回されて[下ろして].
17 《海事》風下へ

『プログレッシブ英和中辞典 第5版』の down(訳語のみ抜粋)

1 下の位置へ
2 (姿勢が)低い位置へ
3 (順序・序列が)下って
4 (数量が)下がって
5 (物を)(しっかり)留めて
◆垂直軸を基準にした「下の位置へ」の意味から順序・数量などが「下位へ」へ,「(しっかり)留めて」の固定的意味に広がる.

━━[副] (最上級downmost)
1 (高い上の位置から) 下の位置へ下へ [に], 下げて, (地上・階下などに) 降りて, (物を) 降ろして, 飲み込んで; 川
1a (平面上の上から) 下へ (クロスワードパズルの) 縦に (⇔across); (舞台の) 前方へ [に] (⇒downstage); ((米)) (地図上で北から) 南へ;《海》風下へ.
1b (価値の中心から) 離れて周辺地へ, ((特に米)) (住宅地区から) 商業地区へ (⇒downtown); ((英)) (都心部から) 地方へ (◆特にロンドンを起点として); ((英)) (帰省・卒業などで大学から) 離れて (◆特にOxford,Cambridgeを卒業して).
2 (人などの姿勢が) 低い位置へ座って;うつむいて, 身を屈めて; 伏せて, 倒れて.
2a (人の調子が) 低い状態へ, 落ち込んで, 元気がなくて; (機械などが) 機能停止して, (コンピュータなどが)落ちて.
3 (順序・序列の初めから) 下って (順に) 下へ, (時代が) 下って, 後代に (至るまで); (地位が) 末端に (至るまで).
3a (順にたどって) 根源まで, 最後まで; 追いつめて.
4 (数量・程度などが) 下がって低下 [減少] して, (価格・率・速度などが) 落ちて, (温度が) 下がって, (音量・調子が) 低くなって; (濃度が)より薄く; (風が)おさまって; (強度が) より弱く;(大きさが)より小さく; (潮が) ひいて;《スポーツ》…点差をつけられて.
5 (物を) (しっかり) 留めて固定して, (取り) 押さえて; (活動などを) 押さえつけて, 弾圧して; (情報などを)しっかり書き留めて, (文書・名簿に)記録して, (…の)リストに名前が載って≪for≫.
5a (人・状況などが) 落ち着いて穏やかに, 静まって; 定着して; 本気で, 本腰を入れて, 精力的に.
5b すっかり, まったく.
5c 手付に, 頭金として.

 ここで注目したいのは、第4版の語義12「倒れて, 臥して;(人が)病臥して;(意気などが)沈んで」のところである。この語義12の前後は「11 現金[即金]で, 頭金として(現金で)」と「13 (のどを通って)腹の中へ[に]」で意味的関連はまったくない。語義が無秩序に並べられている。
 これが第5版のほうでは、語義2の「(姿勢が)低い位置へ」の下位項目として、第4版の語義12が移動している。ただし、表現は「2a (人の調子が)低い状態へ,落ち込んで,元気がなくて」と変更されている。これは down という副詞の基本的意味に「人が病気で臥している」というものはないということだ。あくまで派生的な意味として「人の調子が悪い」、それを具体化した表現「落ちこんでいる、病気で寝ている」が生じている。
 このような分析を徹底的に行っているのが瀬戸賢一編集主幹による『英語多義ネットワーク辞典』だ。この辞典では、比喩的拡張(メタファー、メトニミー、シネクドキー)によって語の意味ネットワークがどのように形成されるかを示している。そして、この辞典での経験を活かして編纂されたのが『プログレッシブ英和中辞典 第5版』だ。前版(第4版)と訣別し、まったく新しい辞書になっている。業界では「辞書と畳は新しいほうがよい」と言われているが、『プログレッシブ英和辞典』に関しては2世帯住宅で仲良く暮らせることだろう。

■ 真の反対語、偽の反対語
 上では多義語について述べてきたが、多義語とは類義語にほかならない。つまり類語辞典には「多義」というものへの理解が欠かせない。それは類語辞典の編纂者だけでなく、利用者にも必要なスキルのひとつだ。でなければ、英語辞典、国語辞典、英英辞典、類語辞典という言葉の海のなかでグルグルと回り続けて、目的地に到達できなくなってしまう。
 理想の類語辞典を目指すのであれば、反対語・反意語についても欠かせない。「生/死」は明らかに反対語だが、「本当に反対語と言えるの?」というケースもある。「高い/低い」「年寄り(old)/若者(young)」は反対語とは言えない。偽の反対語だ。なぜなら、「not old」だからといって「young」であるとは限らないからだ。
 山本貴光さんと吉川浩満さんの著書『問題がモンダイなのだ』で教えてもらったところによれば、「自由/束縛」あるいは「自由/不自由」も真の反対語とは言えない。「自由」の反対語は「自動化」なのだという。該当箇所を引用する(121〜123ページ)。

 一九世紀の心理学者ウィリアム・ジェイムズは、「自由」の対義語は「不自由」ではなくて「自動化」だと考えた。
 自動化とはなにか。それは動作や言動がひとりでにオートマティックに決まってしまうことだ。
 たとえば、やりなれた動作はいちいち意識しなくてもできる。
(中略)
 自動化された言動には自由が顔を出す余地は少ない。逆に言えば、自由とは選択の余地をもっていること、自動化にさからうことだと考えてよいだろう。

 なんのことはない文章に思えるが、よく考えると恐ろしいことを指摘している。「やりなれた動作」とは「自由」の対極にあるというのだ。つまり、習慣化した言動・動作には自由が存在しない。自ら不自由の殻に入り込んでしまう。類語辞典への道は深淵だ。



【参考文献】
瀬戸賢一(2007)『英語多義ネットワーク辞典』小学館
瀬戸賢一(2008)意味への回帰、特集:英和辞典の新時代、英語青年 2008年3月号、研究社
瀬戸賢一/投野由紀夫(2012)『プログレッシブ英和中辞典 第5版』小学館
山本貴光/吉川浩満(2006)『問題がモンダイなのだ』ちくまプリマー新書

 

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